映画と人とわたし

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

リチャード・アッテンボロー監督「ガンジー」2311本目

リチャード・アッテンボロー監督って偉いなぁ。(子どものような感想ですみません)「遠い夜明け」もいい映画だった。ただ声高に「差別反対!」と叫ぶだけの人とは違う。差別する人の内面も浮かび上がってくるし、差別される側の誇り高さにも目を向けてる。単純な「お涙ちょうだい」にするのが簡単な、ある意味おいしいテーマをきちんと丁寧に描いているので、抑圧されて立ち上がるガンジーのことが、崇高すぎるというのでなく、人間みもあるのに立ち上がって、やがてここまで崇拝されるようになることに共感できてしまう。ガンジーは立派だけど監督も立派だ。

若い弁護士時代のガンジーは、いまどきの英国育ちの上流家庭のインド系の人のようです。まず彼は育ちが良い。良い教育を受けた正しく、かつ自己肯定感に満ちた若者です。だから人種だけで動物のように扱われることの理不尽が看過できなかった。そのまっすぐな正義感が、ある意味極端なほどの非暴力・不服従に向かっていったんだろうな。

そして、いちばんハードルが高いのが、暴動鎮圧にょる多数の犠牲。ここで「ガンジーのせいで母は死んだ!」という風に怒りの矛先が転換する人もいたんだろうか、それとも、それまでの結束が強くて乗り越えられたんだろうか。「犠牲者さえ出なければガンジーは立派だった」という人が多分いるだろうけど、言いづらいことをはっきり言うと、攻撃されてでも不満を表明しない限り大きな社会の仕組みを変えることはできない。犠牲なしに成し遂げられるのが一番だけど、ガンジーが攻撃されて亡くなる可能性もあったし、もっと大きな犠牲が出た可能性も、誰も傷つかない可能性もあった。人間にできることは、それぞれの人が心と頭を尽くして負傷者が出ないように努力することだけだ。結果からその前にできたことをあれこれ考えてもしょうがない。

英国政府がガンジーに極端な重罰を与えられなかったのは、彼の態度が常に完璧な「英国紳士」で、かつ英国法を熟知してた弁護士だったって事情はあるんじゃないかな。彼はインド全国民を代理して、英国法にのっとって英国式に争った、ともいえる。

結局、彼を討ったのは違う宗教の同胞。国境は政治じゃなくて民族で、宗教で決まる。…それにしても死ってあっけないな。人は「死ぬ」んじゃなくて「生き」るだけで、それが終わるのが死だから、終わりがあっけないことがあるのは当たり前だけど。

それにしても、自分の一生を本当に100%インドの独立にささげた人がいたというのが美しすぎる。今の時代は、もし同じ人間が立ち上がったとしても、みんな知恵がついているから「そうはいっても彼は英国育ちのエリートだから」とか、1つにまとまるのが難しい気がする。ダイバーシティが増えすぎた時代の平和ってのは、この時代とは違う方向をめざしていくしかないんだろうな。これは今の時代にガンジーがいるかいないかって問題ではないと思う。