映画と人とわたし

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

アニエス・ヴァルダ 監督「顔たち、ところどころ」2283本目

顔がたくさん、場所もたくさん、というのが原題なので、邦題はじつは直訳。
顔たちがところどころにあるんじゃなくて、顔も「ところ」もいろいろ、という意味ですね?

このおばちゃんとお兄ちゃんがどういう人なのか、全然知らないまま見ました。
普通っぽいポートレートを巨大に引き延ばして建物の壁に貼るのって、その建物をとりまく人たちに対して、とても共感的に見えるけど、じつは挑戦的でもある。コンテナに貼る写真は港湾労働者たち本人ではなく、その妻たち。という判断は少なくとも“自然”に出てくるものじゃなくて、あえて思いださせようという演出意図だもんね。そういう、日常に投げ込まれるピリッとした緊張感。

若いころ、フィルムカメラにあえて白黒フィルムを入れて写真を撮ってた時期があったなぁ。どうして色がないとどんな像もパリッとするんだろう。この映画と同じことを日本の、私の住んでる近所でやったらやっぱりこんなにピシッと決まるのかな。

この映画でアクションを起こしているのは主にJRの方で、おばちゃんは彼らが撮影行脚をするドキュメンタリーを撮影する、という役割なんだろうか?おばちゃんは「ヌーベル・バーグの祖母」と呼ばれ、ゴダールアンナ・カリーナの短編を撮ったりもしたらしい。
でも過去に栄光みたいなものがあったかどうかは、この映画ではあまり関係ない。JRが知り合いのJLG(ジャンリュックゴダール)に似てるから紹介するわ、とおばちゃんが言う場面があるけど、それがいい思い付きなのかどうか何ともいえないし、会わずに逃げたゴダールの感覚は間違ってない気もする。

世代に隔たりがある人どうしのコラボはとっても素敵なマジックがあると思うけど、なんとなく、この映画を特別なものだと思いたくない気がしています。
芸術って特別なものかもしれないけど、世界中のどこでも、こんなマジックで空気が変わることって毎日起こってほしいと思うからかな・・・。

顔たち、ところどころ(字幕版)