映画と人とわたし

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

森達也監督「FAKE」2239本目

この映画の公開からもう3年。

ぶっちゃけ、佐村河内さんの会話する姿を見ていて、耳が聞こえないとは思わない。聴覚の病気とか障害っていろいろあって、突発性難聴の話もよく聞く。「ほとんど聞えなくなったことがあったのは事実。そのとき自分は、今後ずっと聞こえなくなる覚悟をした。その後意外と改善して、今はほとんど聞えています」というような状態じゃないかと私は勝手に想像していて、それはそれで大変なことだったと思うので、「もう治った」と告白する勇気を持ってくれたらいいと思うし、そういうことを言いやすい世の中になるといいなと思います。

なんか、弱いものいじめみたいな感じもしますね。嘘をついてしまった人、嘘をつきつづけている人、というのは極めて弱くなっている存在だと思う。監督は「自分は正しい傍観者である」という絶対的な正義を盾にして、弱者を気持ちよく追い詰めていく。

ドキュメンタリーに嘘がある、というか、監督が書いた構成に沿って結論を導いていくのは既知の事実だと思ってます。そうしないと「オチ」がつかないから。映画にオチが必要だと思っている監督がドキュメンタリーを撮ると、必ずそれは物語になる。

この題材をマイケル・ムーアが撮ったらどういう映画になっただろう?と想像すると面白い。彼なら台本まで書いて、いろんな映像を畳みかけて畳みかけて、自分以外はマスコミも当人も全員うそつき!みたいなすごいエンタメ作品を作ったかもしれない。

この人に作曲はムリだけど、映画監督に映画「撮影」ができない(ことが多い)のと同様、「僕はプロデューサーです。曲そのものは作曲家が書きます」ってのが事実で、それでも構わなかったんじゃないかな。人間は誰でも、カッコつけだ。カッコつけしない人はあんまりいない。やっちまって、後に引けなくなってる人をどうするか?追い詰めれば追い詰めるほどドツボにはまる。それは誰にとっても「解決」ではない。

なんか、自宅のベッドで裸の女性と一緒にいるのを見つかったのに「浮気じゃない」って言い張ってる男をみんなで囲んでいじってるみたいだよね。囲んでいじってる人たちもどうかね・・・。これを見て正直、面白いなと感じてしまう自分もちょっと醜悪な感じがします。人間のサガがいろいろと暴き出される嫌~な作品ですね!

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