映画と人とわたし

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

瀬々敬久 監督「菊とギロチン」2222本目

中島みゆきの歌詞で、道に横たわって人の名を呼んだことがあるか?という趣旨のものがあって(※JASRACに配慮して、趣旨だけ。著作物性は表現にあるからな)、あるわけねーだろ!と突っ込んだことがある人は私だけではないと思いますが、この監督の世界はそのくらい、熱く、まだ熱く、さらに煮えたぎるように怒りをぶつける灼熱の精神の世界です。だって殴り合うときの効果音をこれほど大げさに付けるの、「あしたのジョー」とこの映画くらいだ。

男たちがみんな怒っていて、女たちがみんな搾取されていて、男たちの怒りを正当化する理屈がこじつけられてるような、ねじれを感じます。関東大震災後の朝鮮人虐殺事件は、血が凍るような恐ろしい忌むべき事件だけど、それに対する怒りを映画化するなら、もっとまっすぐにそれを取り上げてほしい。女相撲アナキストも関係ないんだから、もっと大事に扱ってほしい。

この監督の映画は、”しつらえ”がすごく魅力的で、惹きつけるんだけど、虐げられ続けている人たちのリアリティがないんだ。むしろ攻撃したくてたまらない人たちがいる。叩かれ続けている人たちの諦念が描かれず、虐げられている人たちを見て憤りを爆発させる人たちのリアリティだけがある。日本人の中にも、朝鮮人側に共感して怒っている俺たちがいるとわかってほしい・・・というのが映画の一番中心にある。

世の中にはいつも攻撃したい人たちと、いつも平和でいたい人たちがいる。攻撃したい人たちは、その矛先を向ける悪を探す。映画がその吐け口になるのは健全なことなのかもしれないけどね。

菊とギロチン

菊とギロチン