映画と人とわたし

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ジョン・カサヴェテス監督「こわれゆく女」2208本目

ジョン・カサヴェテスの監督で、ピーター・フォークジーナ・ローランズが出てる映画だよ。アメリカの私の好きな面だけ集めて固めたようなもんです。嫌いなわけないよね!

でもこの映画は見て戸惑った。解説には、おかしくなってしまった妻を病院に入れると書いてあるけど、彼女の怒りや戸惑いは十分私にも共感できるもので、確かに反応はおかしいんだけど、怒って妻を殴る夫なら「病院に入れる」という考えにはならないと思う。彼女を入院するほど変だと思えない私は、病気の側に近いのか・・・。

メイベルは、普段も逆上したときも、頼りなくて少女のようなので、分裂症や躁鬱病より、強いていえば若年性認知症とか知的障害に近く見える。「頭が割れるように痛い」ってつぶやく場面があるから、脳血管の異常があるっていう設定なのか。

でも、暴れて人を殴ったりしないし、常にみんなを愛して尽くそうとするので、愛されている。

一体どこからが病気なのか、ということを私は常日頃から考えることが多い。メイベルくらいなら「不思議ちゃん」として流してあげればいいんじゃないか?この前に見た「パンチドランク・ラブ」の、切れるとガラスでも何でも殴って破壊してしまう男(怒らせる姉もなかなかムカつくんだ)の方が危ないと思うし。この映画の当時のアメリカの家庭って意外と「まともさ」に関して厳格なのかな。

監督はどうやってこの見つけにくいテーマを見つけたんだろう。身近にこういうことが起こったのかな。見た人たちはどう受けとめたんだろう。アメリカの人、日本の人、当時の人、今の人。。。

やっぱり、監督は女ばかりがお行儀の良さや出来の良さを求められるのを見て、なんとかしなければと思ったんだろうな。もっというと、自分が激昂したときの妻あるいは他の女性のもろさを見て心を痛めたのかも。彼は人間ってものが簡単に変わるとは思ってないからお説教っぽい映画は作らないけど、勇気を出してこの映画を世に出すことで、彼女たちの姿に注目してほしいと思ったのかも・・・。

原題のunder influenceってどういう意味なんだろう、何の「影響」なんだろう?って思ったけど、これは、夫やお酒やお客さんや突然の予定変更、様々なものごとの影響を受けて心が惑う女性たちの愛とやわらかさの物語なんだわ・・・きっと。カサヴェテス監督から妻ジーナ・ローランズへの深い愛とリスペクトに、拍手。