映画と人とわたし

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ヨルゴス・ランティモス 監督「聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア」2097本目

<ネタバレあり>

こわ〜い映画。オカルトと分類されてもいい世界なのに、ポランスキー的ではなくミヒャエル・ハネケ的。コリン・ファレルニコール・キッドマンといったいつものハリウッド映画の人たちが出てるから、「ファニー・ゲームUSA」って感じでしょうか。(ということはニコール・キッドマンナオミ・ワッツで代替可能)この少年、一見普通でちょっと嫌な感じで、クラスに1、2人はいそうな隠れたいじめっ子っぽいのですが、日本映画でいえば俳優としてのビートたけしリリー・フランキーみたいで、この先どんな大悪役に育っていくか楽しみなような、怖いような。

オカルトですよね、呪いで身体が悪くなっていくんだから。でもとてもドライに、目に見える事故しか起こってないかのように描かれているので、観客も一緒になんとなく、とりつくろって何とかなれば良いのにという気持ちになります。えらい牧師さんにお祈りしてもらうとか。。。

「聖なる鹿」というのは「誰を生贄にするか」って意味なんでしょうね、きっと。これが「羊」ならもう少しわかりやすかったかも。(ググったら、日本でも鹿を供える神社があるみたいです。)家族のうち誰を差し出すかを選択する映画なんて、日本では作ることもできないと思います。スポンサーがつくと思えない、ありえない題材です。欧米というかいわゆる白人の合理的思考、つまり、一人選ばなければ全員死ぬという状況で誰かを選ぶという判断を、受け止めるのは難しいと思う。

もしこれが自分なら、殺人という形で結論を出すことは、父が死刑になる可能性を含んでいうので、ないと思うんだけど。

死んだような表情だけど、元気に山盛りポテトにケチャップたっぷりかけたのを飲み食いして、健康に歩いていく3人の家族と、「正義(Justice)が下された」ことを見届けたマーティン。目には目を、歯には歯をという意味では、欧米的というより東アジアの敵討ちや中東の文化と根っこは同じ、なんだろうか。

難しいテーマを、うまく引っ張って見せた構成力はなかなかのものだったと思います。