映画と人とわたし

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

イングマール・ベルイマン監督「仮面ペルソナ」1842本目

1967年の作品。
頭から攻めてきます。白黒の硬質な映像(スヴェン・ニクヴィストって、芸術家ですよね〜!)、写っているのは動物や人間の虐待なのか。音楽もクラシック音楽の楽器をランダムに鳴らす感じの現代音楽がタイトルに被さります。巨匠の若かりし頃のとんがった作品、かと思ったら、監督すでに49歳の円熟期でした。

これがリヴ・ウルマンの映画デビューなんですね。
しかし彼女は影みたいな存在感で、喋り続けるのは若い看護師の方。「こんなこと人に話すの初めて」と言いながら過去の秘密を話して泣き崩れたり。ちょっと経ってから見ると、看護師のほうが患者にしか見えません。
北欧ではこんな風に、患者に看護師が1:1で一日中付き添うんだろうか。
女優に憧れて寄り添ってなかば同化していく看護士。
女優の夫が現れて、看護士を妻の名前で呼ぶ。(この辺から、これって幻覚かしらと思いはじめる)

女たちは二人とも心に重荷を背負っている。まるで双子みたいに、死とか血とか殉教とか、赤黒い恐ろしいことが心の底に詰まってる。そういうのが画面に時々現れるってことなのかな。

女優の顔に寄って撮るかんじが「沈黙」を思い出します。画面いっぱいに一人、または二人の女の顔が広がる。
で、ときどきカメラが止まるんだ。時間調整のため、というと味気ないけど、ベルイマン監督は、時間っていうものを支配して意のままに動かそうとする。面白いですね、自分は神だとでもいうみたいで。

人生に飽きたか諦めたかして沈黙をつづける女と、彼女に憧れたり妬んだり腹を立てたり執着したりする女。
この二人に落ち着きどころはあるのか?この映画に落としどころはあるのか?

と思ってると唐突に時間が動き出す。女優はメイクをして、カメラの前でバスに乗って行ってしまう。
看護士はキビキビといつものように働いている。
でもそれって落としどころなの?

一時期マーケティングでペルソナってすごく流行ったよね。この映画では邦題に「仮面」と付け加えてる。この頃のペルソナというものの理解は本質と違う仮面をかぶることってイメージだったのかな。この映画での意味を、ちゃんと理解できたかどうかはわかりませんでした。たぶんできてない・・・。