映画と人とわたし

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

是枝裕和 監督「万引き家族」1840本目

週末にちょいと旅行したので、空いた時間に見てきました。
地方の映画館って空いてて好き。

見終わったとき、ちょっと物足りない感じがした。
思い出していたのは例えば「誰も知らない」。あの映画はドキュメンタリーかと思うくらいリアルで、胸が締め付けられた。この映画はそれに比べていかにもフィクションだし、ちっとも苦しくならなかった。
仲のいい家族らしく、みんな幸せそうだった。それが、特別な映画でしか起こらない”映画マジック”なんだと言われても、そう?ふーん。としか感じない。

例えば、長年好きだった作家がとうとう直木賞を取ったとき、受賞作には「やっとそのレベルに達した」と実感できるくらい、今までにない完成度と普遍性があると思った。一方、是枝監督の映画は昔から地味な作品もじわっとくる感慨があったし、この映画だけが何か突出しているとか「これこそが是枝作品の頂点だ」とは感じなかった(ずっと見てきた人たち、みんなそうじゃないの??)。

で、一晩置いてみた。
庭園でビール飲みながら、神社の回廊を歩き回りながら、ずっと考えてたらわかった。
この映画は今までになく、みんな幸せだったから違和感があるんですよ。暗黒の過去があり、うす暗い未来もあるけど、家族として暮らしていた間の5人+1人が、幸せすぎてキモチワルイのです。いまどきよくある、社会の問題を白日のもとに晒す系の映画では、登場人物が本質的に誰も”完全な善人ではない”。この映画の6人は、平気で万引きしたりウソをついたりするけど、おかしいくらい、今まであんまり会ったことないくらい、心がピカピカに澄んでいて、嫌な奴が一人もいないし、関係が悪い人たちがいないし、みーんな素直でハッピーなんです。誰かが誰かに腹を立てたり、恨んだり、刺したり、グレたりしない。素直に真面目に一生懸命、みんなで万引きをする。優しすぎて傷ついてしまったほとんど赤の他人のような人たちが、それぞれ何かの事情で集まってきて暮らしていて、樹木希林婆が受けとめているのがあの「家」だ。
そこは一過性の天国。悪い予感のかけらもない。天国の天使たちみたいに調子に乗ってました。「東京物語」の原節子にだって、もう少しは陰や葛藤があったんじゃないか。

血縁でも相性が悪いとしか思えない人たちはいる。監督が気に入って集めたキャストどうしがしっくりこないこともある。この映画のようにキャストどうしが本当の家族というより「理想の家族のように」いい化学反応を起こすこともある。それがこの映画だ。

ここでエピソードを一つ。両足が義足のファッションモデルがステージに立って、「脚の長さが自由に変えられるのよ」と言って裾の長〜〜いドレスを完璧なバランスで着こなしていたら、観客が「That's not fair(ずるいわ)!」と叫んだ。それまで義足の彼女はいろんな差別を受けて、どうやったら自分がフェアに扱ってもらえるようになるのか考えてたのに、自分の弱点をうらやむ人が現れてしまったという驚き。

万引き家族」は多分、映画を見ているどの家族よりも完璧に仲良しで幸せだった。万引き家族なのに。
そこまで考えて、私はやっと「幸せすぎてキモチワルイ」という自分の気持ちが「やっかみ」だと気づく。そんな天使みたいにいい人たちなわけないじゃん。心がひねくれてて意地悪だから貧しいんだよ。と自分の中の悪魔がささやく。怖いですね。

彼らは負けたんじゃない。なぜならバラバラになってもお互いを信頼する気持ちが失われなかったから。彼らの天国は現実の世界からそれぞれの心の中へと移動しただけで、その天国のことはこれから一生思い出せる。そんな家族なんて経験したことがないから、私は激しく彼らを妬んでいるんだと思います。
自分には万引きとかできないし風俗でも働けないし、あそこまで散らかった家は嫌だなぁとか思うけど、それでもこんな家族を持つことが人生で最高の幸せなんじゃないかと思って、まだ「納得いかないー」って暴れてみたいんです。

カンヌの選考委員たちもそんな風に考えただろうか。彼らを「かわいそうな人たち」と捉えただけだったら、パルムドールって選択はないはず。あの家族のような人たちの間に漂っていた不可思議な天国のことを、今まで見たことのないものと捉えたから受賞したのかな。

いい映画は見るひとの正体を暴き出すのです。こわいこわい。でもだからこそ、映画は面白いし人間って面白んだよなぁ。