映画と人とわたし

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ポール・トーマス・アンダーソン監督「マグノリア」1828本目

偶然か必然か。”因果応報”って概念はここでは出てこない、多分。
でも「ザ・マスター」みたいな執拗な宗教の呪縛がなんとなく示唆されてるようで、ゾッとするような幕開けです。
様々な人々が生命の危機を迎えて焦っている。窓の外にはなぜかいつも雨がだらだらと打ち付けている。
やたらと音楽がいいんだよなぁ。どの場面でも。

と言う風に、嫌な予感を最大限に撒き散らして、映画の真ん中あたりからとうとう崩壊が始まります。ナンパ教師の正体が明かされ、天才少年がスタジオでおもらし、司会者がとちって倒れる、ヤク中の女性は訪ねてきた警官と数時間後にデートに出かけることになる。
BGMが葬送行進曲みたいになってる。
・・・・この監督のカタストロフ志向の強さは何だ?

最後のクライマックス。アメリカは竜巻が多くて、竜巻で吹き上げられたものがその後空から降ってくることがあると聞いたことがある。夢落ちじゃなくてカエル落ち、もうどうしようもないところまで追い詰められた人たちのどうしようもない状態をいきなり全部チャラにするくらい大きな出来事をここに持ってくるという解決方法。隕石が降り注ぐとか宇宙人が襲撃してくるのでなく、日常の延長の事件であってこの映画はSFではない、という頭のいいアイデアだと思う。それを受けて冒頭の偶然だか必然だかの話が繰り返される。

しかしなぜカエルだけ。竜巻ってその後雲になって雨になるのかしら。

戸田奈津子の下ネタの翻訳は、下品にしようとしつつ、”そのもの”の言葉を避けようとしているようでどうも気持ちよくないなぁ。