映画と人とわたし

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ゴッドフリー・レジオ 監督「コヤニスカッツィ」1811本目

ひとことで言うと、「我々はどこから来て、どこへ行くのか」と問わず語りするような映画だ。

コヤニスカッツィって何?
どういう経緯で借りたのか思い出せないけど、この言葉の語感にはちょっとシビれる。アメリカ映画だったとは。チェコとかイランとかギリシャとか、言語体系が想像できない国の映画かと思ってたら、ドキュメンタリーらしい。(それも知らずに借りてる)

冒頭の問いの答えは「コヤニスカッツィとはアメリカ大陸の原住民のインディアン、ホピ族のことばで「バランスを失った世界」などを意味する。」だそうです。なるほど。この映像はアメリカのどこだろう。アリゾナ州とかユタ州とかかな・・・「グースネック」が映った。まちがいない。観光客など一人もいない、地球じゃないみたいな映像。
その後つづいて、様々な高層ビル、ピカピカのや廃墟になってダイナマイトで粉砕されるのや。何かに長蛇の列をなしてフロアを埋め尽くす人たち。一人一人の働く人たち。

都会の人間たちが美しいバランスをもはや取り得ないのは自覚してるけど、バランスを失った世界は、バランスを取ろうとする方向へ動いていくんだろうか。砂漠の風景は完全なバランスが取れすぎていて、あとは静かに風化するだけ。壊れそうな都会の風景も逆に美しく感じられる。
血管のような道路を赤血球みたいに走り回る自動車も、「生きてる」って感じさせてくれる。
なんか、結局みんな美しいんじゃないか?

40年前も今も、若い男たちは感じのいい人って思われたくて、アイスクリーム店で店員に愛想よくする。
私はただ、発展も破壊もスピードや威力がこれ以上大きくならないといいと思ってる。

ところで、映像が1980年頃のアメリカ、もう40年近く前なのでかなり記録映像のおもむきがあります。
それにしてもアメリカの建物って、外壁をあんまり掃除しないのか、それとももともと埃の多い国なのか、なんとなく表面が粉っぽいよね(映画の中に出てくる”Microdata"のミラービルは例外)。日本のビルは表面がどれもつるっつるだ。これは北米大陸に上陸するたびに思うので、普遍的な事実なんじゃないだろうか。