映画と人とわたし

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ミヒャエル・ハネケ監督「ハッピーエンド」1752本目

<ネタバレあります>
予想どおり、何もハッピーじゃない映画だった。そしていつものように、一度見ただけでは咀嚼しきれない。「愛、アムール」の続編的な要素もあるけど、この映画はあのようにエンドロールで泣けない…泣きようがない…。

ジョルジュ翁の自損事故は、単なる事故?孫娘エヴに意地悪を言ったので彼女が復讐しようと薬を盛ったとか?
彼がエヴを呼びつけて問いただしたのは、学校で彼女が起こしたことなどではもちろんなく、彼女の母と自分自身のことでは?最後の入水未遂は、エヴの本質を白日のもとに晒すためにわざとやったのか、「そんなことをするくらいなら、私が往こう」と範を示してやろうとしたのか。本当に自分が海に沈むなんて、まさか思わないよね?あの賑やかな場所で。というより、「愛、アムール」のラストの後、娘があのアパートを訪ねたら(それがあの映画の冒頭)、翁が撒いた花がドライフラワーになっていて、彼が長いこと留守にしていることが示唆されてたので、そのまま自殺したんだろうと思ってました。今回この映画を見てまず、「あ、生きてたんだ翁」って思ったくらいなので、彼は死を切望していたという設定とも考えられる、のか。

トマは、アメリの彼氏の善良なイメージが強くて、なんとなしにひいき目に見てしまう。が、彼は娘に言わせると「誰も愛せない」。人当たりの良い彼だけど、良い子を演じ続けているけど本心では刺激を求めつづける子どもってことか。タリウム少女は父の本質がもっとわかりやすく表出した姿、のような気もする。

気になった場面。
翁が車椅子で出かけて、雑音の多い通りで話しかけたのは、のちにアンヌ(イザベル・ユペール)の息子ピエールが、母の婚約パーティに連れ込んだ移民たちだ。この一致の意味は?その場面では、(前の場面で孫娘に「誰?」って言うおとぼけがあって、かなり認知能力が落ちてるとみんな思ってたので)道に迷ってたまたま出くわした人に聞いたのかなと思ったけど、そんな無意味な場面ではないはず。流れとしては、理髪師に銃が欲しいと言っても調達してもらえなかったので、街角で闇雲に声をかけた、という風にも見えるけど。「隠された記憶」のラストをほうふつとさせる、謎かけみたいな場面です。

ネタバレブログをググりまくってわかったのは、ピエールが誰かに会いに行ったアパートの入り口で袋叩きにあったのは、建設会社の事故の被害者にお詫びに行って仕返しをされたらしいこと。この事故はかなり冒頭で起こって、あまり目立たないけどこの映画全体に響いてるみたいだ。アンヌは懇意の弁護士に被害者の弁護をさせてうまく示談を取り付けて、のちにその弁護士と婚約してる。(冒頭の事故の場面で、画面の右上にタイムカウントが入ってたし、現場音らしき音楽が流れてた。あの映像を撮ってたのはどこにいた誰?)
犬は翁が戻ってきたときに、なんであんなにバウワウ吠えたの?同じ犬がなぜ、モロッコ人使用人夫婦の娘を噛んだの?(狂犬病の可能性もあるのに、「明日薬を塗れば治る」とかチョコレートでごまかすとか、全く)

はっ!すごいことに気づいた。「愛、アムール」でもジョルジュはジョルジュだけど、アンヌというのは認知症の愛妻の名前で、イザベル・ユペール演じる薄情な娘の名前がエヴだった。これが意味するところは・・・。わからない・・・。こういう作品は、劇場じゃなくDVDで繰り返し見た方が、まだ10個の謎のうち1個くらいは解ける可能性がある、気がする。

それにしても、公式サイトに寄せられた各界の著名人のコメントを見てると、要はわからないということを、表現を工夫して言ってる人も結構いて、ちょっと愉快な気持ちになります。ね、わかんなかったよね!(共感)