映画と人とわたし

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ブライアン・シンガー 監督「ボヘミアン・ラプソディ」2036本目

「私とクイーン〜ありがちな元ファンの話」

フレディの映画をやると聞いて、行くかどうか迷ったくらい、昔好きでした。映画はよくできてるけど、フレディがザンジバル生まれの移民でデザイン系でバイセクシュアルでエイズで亡くなったことはみんな知っ流ので、「知らなかった!感動した」とはならずにむしろ「あれ?最後の恋人とはもっと前から一緒にいたんじゃない?」など重箱の隅を突き出す始末です。本物の輝きを思うと、ちょっと「そっくりさんバンド」っぽい気もする。

それより私みたいな元ファンがこの映画で感じるのは、クイーンの応援をやめてしまったことの後ろめたさ、申し訳なさ、じゃないでしょうか。

姉の影響で「シアー・ハート・アタック」から聴き始めて、最後に買ったアルバムは1978年の「ジャズ」。その後はパンクやワールド・ミュージックに流れてクイーンとの関係は薄れていきました。その後は「ゲイやドラアググイーンの人たちって、なんでカラオケでみんなボヘミアンラプソディ歌うんだろ?」と思う機会があったり、曲は今もたまに聴きたくなるので最近CDや配信でアルバムを買い直したりしたくらいでした。フレディの最後まで支え続けた、家族のようなファンでもないのに「あんまり新ネタがないわね」などという自分が少し嫌です。

密閉式のヘッドフォンで、引きこもりみたいにLPに聴き入ったこと。歌詞をノートに書き写して辞書を引いて訳したり、メンバーとの相性を調べてみたりしたこと。ミュージックライフの来月号を心待ちにしたこと。そのころのトキメキを思い出すと胸がいっぱいになるんですけどね。

その後の「フラッシュ・ゴードン」とかフレディのソロとかは心底つまらなく感じられたし、バンドエイドやライブエイドはMTV文化の延長の欧米の思い上がりのようにも思えた。これから作る楽曲のクレジットを全員にする事になったというのは、あまりにも生臭いお金に直結する話で、そんなことまで話が行った背景にはかなり嫌らしいぶつかり合いがあったことも思わせます。

人々を楽しませる才能と、楽しませ続けなければならない宿命を持って生まれた彼のような本物のスターは皆とてつもない重圧に一人で耐えて、もがき続けるんだと思う。

当たり前のことだけど、唯一無二のクイーンの音楽がこれからも聴き続けられるために、この映画が果たしている役割は小さくないと思います。

ずっと大切にしなくてごめんなさい。