映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

テオ・アンゲロプロス監督「エレニの旅」1662本目

2004年のギリシャ映画。
ギリシャって、1993年に旅行でアテネと島にちょこっと行ったけど、その時のギリシャとここは全く違う。オデッサってウクライナの南端だったんですね。そこからギリシャはまだまだ遠い。首都以外のギリシャの荒地をひたすら歩く。

旅芸人の記録」とこの映画を見ると、ギリシャ人って少し哀愁を帯びた軽快な音楽や踊りが好きなんだな、と思う。こういうのってそこの人たちの感受性がよくわかる。荒地に流れる軽快な音楽。

で、この監督の映画では、女性は男性3人に1人くらいしかいなくて、父と息子は彼女を愛しながら次々に滅んでいく。男を狂わせる女は民衆に嫌われる。これでもか、これでもか、と女も男たちも不幸に見舞われる。・・・でもこういうことは、近代ヨーロッパではどの町にも起こっていたのかもしれない。魔女裁判は今の日本のネットやワイドショーでも毎日行われている。

そしてエレニは生き延びる。何が起こっても直接の攻撃を受けない。流れ流れて、様々な男たちに愛されて、生き延びる。心を砕かれても死なない。

なんで?というくらいこの監督は遠くから撮る。ファム・ファタールの容貌すらなかなか見えないんだけど、見た感じはアメリオドレイ・トトゥみたいじゃない?真面目で可憐な女性。男性に従属しそうな。(実際してると思う)

わざとファム・ファタールなんて呼んでみた。だけどこの映画を見れば、絶望の中で移ろう女性の姿を私たちはファム・ファタールって呼んでることがある、と知ることになる。

はぁ・・・。ため息しか出ないような切ない映画でした。
「エレニの帰郷」はいくらでも借りられるけど、三部作の最初のこの作品のほうはツタヤの店舗にしかない。やっと見られて嬉しいです。永遠に作られることのない三作目はいったいどんな映画だったんだろう。と思ったらDVDの特典として監督が三部作を語る短ーい映像がありました。「三部作はオデッサで1919年に始まりニューヨークで終わる」と明言してる。やっぱり映画監督「A」の娘のエレニが主人公となって広がっていくことになってたんだろうな。どんな出来でもいいから、誰かが完成させてくれればいいのに。