映画と人とわたし

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

フランチェスコ・ロージ 監督「予告された殺人の記録」1594本目

1987年の、フランス・イタリア合作映画。
これもずーーーっと見たかったんだ。
原作を読んだとき(2014年7月)に、はるか彼方の街で繰り広げられる色鮮やかな村祭りのような物語を想像して、神話の世界を覗き見たみたいに胸が高まりました。自分の想像を超えているであろうその光景を映画で見られたら・・・と思っていたわけです。しんみりすればいいのか、おとぎ話として笑って済ませればいいのか、神々の祭りに陶酔してればいいのか。

開放的な人々、だからこそ娘や息子をモラルで守りたい母親たち、狭い世界の幸せ。
妻となった人が処女かどうかを調べる方法って科学的に見て実在するんだろうか。処女膜は鼓膜と違って突き破って終わりってものじゃない(鼓膜でさえ再生する)のに、そんな迷信のようなもので女性を裁くなんて魔女裁判みたいだ。異国の娘を金で買っておいて処女だとか処女じゃないとかとやかく言うのもお門違い・・・とか、現代の自分のモラルに照らして見始めると途端に面白くなくなるので、そこは置いといて、と。

明らかにそこだけ存在感が違うルパート・エヴェレット、登場した瞬間から、何かが乱される予感がします。
しかしこの映画だけを見ても、時系列が難しくて全体を把握できないかも。
”みんなが知っていたのに誰も止められなかった殺人”というミステリアスなテーマの魔力が、やすやすと映像を与えられることで、三分の一くらいに減ってる気もします。

でも不思議と、私が思い浮かべていた風景とかなり似ている部分もある。サンチアゴの召使い部屋とか、事件が起こる広場の広さとか。全くイメージできなかったのは、司祭とそのパレードの光景かな。”村祭り”が行ってやけにガランとした広場を取り囲んで、闘牛を眺めるように3人を見守る人々。

25年後、ったって当時みんな20代だろうからまだ40代なのに白髪の彼ら。
見所は、事件のドラマ性ではなくて、お金のために娘を結婚させる、誰かをかばうために嘘をつく、名誉のために殺人を犯すしかないと思う、殺人を真剣に止めようと思わない、むしろ内心そうなってしまえと思う・・・そういう、人の心の中の一番痛い部分がこの物語の中に詰まっていること、だと思います。

婚礼の夜にうち捨てた妻に25年ぶりに会う男の気持ちとか、村人全員の生贄に捧げられたようなサンチアゴという存在に現れる人間の中の冷酷さとかも、いくら深く深く読み込んでも理解しきれません。どうしてあの大陸ではこう人間の本性がありありと出てくるんでしょう。