映画と人とわたし

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ジャック・クレイトン 監督「華麗なるギャツビー」1283本目

1974年版、ロバート・レッドフォードミア・ファローのほうです。このあいだデカプリオとキャリー・マリガンの2013年版を見たので、対比でますます面白い。あっちは美術映画といえるほど、きらびやかで華やかでうるさくてゴージャスだったけど、こっちは「ドラマ」。豪華さを引き立たせることなく、静かな独白で語られていきます。人間をそのまま描こうとする態度は普通に正しいんだけど、主役の二人が、2013年版ほどズンとこないし、ギャツビーという男の狂気は伝わってこない。

オープニングではとんでもない豪邸の無人のプールが映されていて、原作を読んでいなくても「サンセット大通り」を思い出して不吉な気持ちになります。

辻にそびえる看板の眼鏡の中の目と、その向かい側の整備工場は、セットを使いまわしたんじゃないかというくらいソックリですね。

キャリー・マリガンの暖かく小柄でキュートなデイジーと違って、ミア・ファローが演じるデイジーの「キャハハ〜!」はデリケートでちょっと神経症的。ニック・キャラウェイは、こちらは真面目で律儀で汗っかき。トビー・マグワイアの「積極的によき傍観者たる」態度と比べて、ずいぶん消極的です。
そしてロバート・レッドフォード。モデルばりの美形すぎて、汚いビジネスをやっている感じがしません。デカプリオの、どこかシチリアマフィアふうの恰幅、感情の振れ幅の大きさのほうが、つかみどころのないギャツビーという役柄に合ってる気がします。先にそっちを見たからかもしれないけど。
人間の歯をカフスボタンにした怪しいビジネスを営むウルフシャインは、1974年版ではアメリカ人俳優が演じていて、2013年版でインドの大俳優を使ったのと比べると、怪しさ半減。

後半のストーリー(辻の看板と整備工場の事件以降)は、旧版も新版も舞台しつらえはよく似てます。
デカプリオとトビー・マグワイアのおかげで、やっぱり2013年版のほうが切なかったなぁ。。。