映画と人とわたし

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ヘンリー・キング 監督「キリマンジャロの雪」1207本目

つかみどころのない映画だ。
ヘミングウェイって人や、その世界が私にはまだちっともわからない。
その作品やライフスタイルが今のアメリカの人たち(特に男性、特に粋人)に大きな影響を与えた、というのがどういうことか、理解とか共感とかしたいのに。

老人と海」を読んでも、なんとなく辛い気持ちになっただけで、報われなかった。
この人の熱い思いは、いつも叶う直前にだめになる。失敗の兆しってないんだろうか?だめならだめで、頑張り切ったっていう清々しさがいつもまったくないのは、なんの罰?

キリマンジャロは高い山だから山頂には雪があるんだろうけど、主人公たちがいるのはサバンナだ。からっとしていても昼間はかなり暑いはず。最初からそういうちぐはぐさが目立っているし、それに、なにかの試みが失敗に終わった後も、大げさに悲しんだり叫んだりするわけじゃなくて、もっと一生続く傷の痛みがまた一つ増えた、という風だ。そういう、内臓まで少しずつやられるボディブローのようなものを、ただ受け止める。それは”男らしさ”か何かなのか?

なまじ、モテる男がこういうニヒルな状態に陥るんだよな。太宰治しかり、三島由紀夫しかり。
自分が付き合ってきた素敵な女たちについて書くのは、楽しいのか?読んでる人たちは何が嬉しいんだろう?
ひけらかしてるとも思わないけど、なんだか退屈なことに思えてしまうんだ。
フェリーニの映画も同じような感じがする。女にはわかりづらい世界なのかな?
狩猟民族の男が魅力的な女性を狩ることに失敗した気持ち?
「聖杯を探し続ける騎士を気取ってるの?」
と主人公を責める女性も登場する。そういうことなんだろうな・・・。