映画と人とわたし

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

アラン・レネ監督「風にそよぐ草」701本目

いつもの、ゆっくり流れるように動くカメラ。サビーヌ・アゼマとアンドレ・デュソリエの、大人の屈折した恋。
ふつうはストーカー的な部分に焦点を当てた映画になりそうなものだけど(する方とされる方が途中で逆転する)、何もかもが「まあ、あれもそれも、風に吹かれてそよぐ草のようなもんだよ」とばかり、自然に溶け込んで行くような感じです。

衝撃ともいえる唐突なアンチクライマックスのラストシーン。今までのストーリーと何の関係もない女の子がベッドの中で、「猫になったら猫のエサ食べられる?」監督が人を傷つけることを極端に避ける、きわめて繊細な感覚の持ち主だと考えると、やっぱりこの飛行機は森へ突っ込んで(普通ならここで爆発炎上)、墓地は彼らの死を意味していて、そこから彼らの魂は教会の尖塔から空へ上り、けわしい岩場と草地を経て、少女の口から輪廻転生のヒントが与えられる、ということでしょうかね。

この監督の作品が、やたらと”肌が合う”感じがするのは、ストーカーめいた思い込みや、ズボンのチャックが閉まらないときの焦燥感や恥ずかしさや、閉まらないチャックから目が離せなくなってしまう気まずさ…のような、人の心のちょっと変な部分に対する視点が、すごく小市民的でやさしいからかもしれません。”好き”な映画は園子温の血まみれの映画だったりするけど、それは憧れであって自分自身は人を傷つけることができないという、一般的な観衆の一人として、そう感じます。
サビーヌ・アゼマが「いいのよ」と語りかけてくれているような、ふしぎな愛のある映画です。

結局彼女は、あの靴をまた買いに行ったんだろうか?
映画を注意深く見てれば、その後はいてたりするのかな…。