映画と人とわたし

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

園子温監督「部屋 THE ROOM」240本目

1993年作品。

白黒で、静止画のような映像が多い。
「The Room」って掲示が出てからトイレに行って戻ってきたら、まだ同じ画面だった!

その後、麿赤児による詩の朗読のような言葉が続きます。
どういう部屋をお探しですか?と洞口依子の不動産屋に聞かれて、こういう部屋がいい、という希望を述べ続けます。この言葉が妙に耳優しくて、そっか園子温って詩人なんだっけ。

それから二人は電車に二駅ほど乗る。部屋探すんじゃなかったの?・・と思ってると、まさかの二人は電車を降りてその物件へ。詩情もなにもない、天井の電球からビニールひもが床まで引っ張ってある、壁になにかをはがした跡のある、古い物件。

・・・いちいち説明しなくていいか。

この映画ね、言葉がとても耳に心地よくて、麿赤児に重たい実在感があって、洞口依子がつめたいのに柔らかくて、不条理劇かなぁと感じさせつつ、いちいち長すぎる間がとても新鮮。ディテールがひとつひとつ、変というほどではないけどひっかかる。ちょっと変わった新卒の社員が入ってきた、こいつは妙だけどもしかしたら化けるかもしれない、のような感じ。

言葉選び、言葉のテンポ、間の長さ、距離感、とかって自分のそういうものとぴったりくるかどうかで評価が決まるから、私はこの映画とは相性がわりといいような気がします。

初日に部屋が決まらず、二日目は不動産屋も速足。男の回想も加速する。
そんな最中にトイレに入ってなかなか出てこない男の、その時間のまどろっこしさが、白黒の画面と実際の映画での時間の長さで表されます。映画での時間は現実の時間よりまったく短いんだけど、「長いな~~~」と共感させるのには十分。映画って普段はてんこ盛りなんだなぁ。

男が喫茶店に入り、しば〜らくしてから店員が現れ、しば〜らくしてから出てきたコーヒーが、その間のおかげでやけにリアルで、コーヒークリームのどろっとしたのを思い浮かべてしまいました。

“あまり考え事をしない男のストリーム・オブ・コンシャスネス映画”って感じ。実験的だけど、やってみないとこの感触はわかりません。私が映画祭とか賞の作品を選ぶ立場だったら、この監督の将来に期待しただろうなぁと思います。面白かった。