映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

大島渚監督「日本春歌考」104

1967年作品。

続けてこの2本を借りるのがちょっと恥ずかしかった、そんなタイトルの映画です。
鈴木清順で度肝を抜かれたので、じゃあ大島渚はどうなんだ?ということで借りてみました。

変な映画だった・・・。大学受験中の悶々とした男子学生たちに荒木一郎串田和美、他愛のない“春歌”を歌い、酔って事故死する教師に伊丹十三。教師の恋人に小山明子、女子学生に吉田日出子宮本信子

情感のない荒木一郎のちょっとすさんだ感じと、真面目な串田和美(この人はずっと俳優業から遠ざかっていたらしいのですが、朝ドラ「ひまわり」では主人公の父親、気のいいそば屋の役をやってました)。すっぴんの吉田日出子がまだ少女のようなんだけど、アメリカのフォークソングを歌ってる人たちからマイクを奪って大真面目に“春歌”を歌うところなんか、いかにも彼女らしくて嬉しくなります。

串田25歳、荒木一郎吉田日出子23歳、宮本信子22歳、大島渚伊丹十三34歳。
赤を黒く塗った日の丸を持ったデモ隊に混じって歩く。
戦後20年もたってるのに、地下道には施しを求める軍服の人たちが並ぶ。
「ひとつ出たホイのヨサホイのホイ」と、受験やデモや恩師の死の場でも歌い続けることで、世の中のくだらなさを笑い、それより大切なものが失われたり得られなかったりしたむなしさを紛らそうとしているかのようです。

「若者たち」を笑顔で合唱するアイビーの青年たちを見ていると、すこしそらぞらしいような気がします。そういう彼らも、実は真っ暗な過去があってあえて明るくふるまってるかもしれないんだけど、この映画の主人公たちは、そういうそらぞらしさに代表される何かを、必死に壊そうとしているようです。

この映画を見たのが20年前だったら、抵抗する彼らに憧れたかもしれないけど、大人になるとだんだん、反抗してる人たちが幼くみえてきます。絶対的な悪ってものが存在すると想定して反抗してる人たちより、人間とか社会の複雑さを理解してがんばってる人たちのほうがカッコよく見えてきます。

「世の中にはいろんな価値観がある」ってことを訴えるために、あえて「若者たち」的なものの対極にあるものを作ってみたかったんだ、と言われれば、納得できるかもしれません。とにかく実験的な作品でした。以上。